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第二次世界大戦の実話に基づく映画『ダンケルク』が2017年に公開!

2016/08/30

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『ダンケルク』

『ダークナイト』シリーズや『インセプション』『インターステラー』と

ヒット作を手掛け続けてきたクリストファー・ノーラン監督が、

初の実話の映画化に挑戦する『ダンケルク』の日本公開が2017年に決定した。

 

本作は、第二次世界大戦中の1940年5月26日から9日間、ドイツ軍の

フランス侵攻に対し、860隻の船舶で、イギリス軍、フランス軍の兵士

約30万人以上もの命を救った、史上最大の救出作戦「ダンケルクの戦い」を

描くスペクタクル・サスペンス映画。

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撮影は今年5月23日から開始し舞台となったフランスのダンケルクを皮切りに、

オランダ、イギリス、そしてアメリカで行われた。

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キャストは、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』

『レヴェナント 蘇えりし者』で圧倒的な存在感を見せつけたトム・ハーディ、

『ブリッジ・オブ・スパイ』でオスカー助演男優賞に輝いたマーク・ライアンス、

演技だけではなく監督としても評価の高い名優ケネス・ブラナー、

ノーラン作品常連の個性派キリアン・マーフィーらが出演と、

個性派が名を連ねている。

さらに人気イグループ、ワン・ダイレクションとして活躍していた

ハリー・スタイルズが自らオーディションで映画初出演を果たしている。

 

スタッフには、撮影にホイテ・ヴァン・ホイテマ、

美術にネイサン・クローリー、

編集に『インターステラー』に続いてのリー・スミス、

衣装に『インセプション』以来のジェフリー・ガーランド、

そして視覚効果監修に『マッドマックス 怒りのデス・ロード』の

アンドリュー・ジャクソンが担当と、精鋭が揃っている。

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出演のマーク・ライランスは、「これまでになかった展開の素晴らしい映画に

なる。いきなり観客を戦争のド真ん中へ連れて行く」とEmpire誌でコメント。

どのような映像とストーリー展開で観客を感動させるのだろうか。

 

ノーラン監督への期待が高まる。

久しぶりの大作となるかもしれません。

 

ダンケルクの戦いとは

第二次世界大戦の西部戦線における戦闘の一つで、

ドイツ軍のフランス侵攻の1940年5月24日から6月4日の間に起こった戦闘である。

輸送船の他に小型艇、駆逐艦、民間船などすべてを動員した史上最大の撤退作戦。

 

歴史的な背景

1939年9月1日にポーランドへ侵攻して勝利したドイツ軍は、

1940年5月10日にオランダ・ベルギー・ルクセンブルクに侵攻、

5月17日以降に北フランスを席捲した。(ナチス・ドイツのフランス侵攻)

 

ドイツ軍は戦車・航空機といった新しい兵器を中心とした電撃戦を展開、

その火力・機動力を集中して運用する新しいスタイルの戦法によって

連合軍主力の後方を突破すると、ドーバー海峡まで駆け抜けて

これらを包囲し、ダンケルクへ追い詰めた。

 

作戦の経過

イギリスの首相ウィンストン・チャーチルは、イギリス海外派遣軍と

フランス軍、あわせて約35万人をダンケルクから救出するよう命じ、

イギリス国内から軍艦の他に民間の漁船やヨット、はしけを含む、

あらゆる船舶を総動員した撤退作戦(作戦名:ダイナモ作戦)が発動された。

ドイツ軍はアラスの戦いでの連合軍の反撃を、近く行われる連合軍の

本格的な反攻作戦の端緒と誤認し、酷使した機甲部隊の温存をはかり、

また空軍大臣ヘルマン・ゲーリングの大言壮語もあって、

ドイツ空軍による攻撃でこれを阻止しようとした。

 

しかしイギリス空軍の活躍と、砂浜がクッションとなって爆弾の威力が

減衰したことなどもあり、連合軍のほとんどは海からの脱出に成功した。

なおこのとき、カレーで包囲されていたイギリス軍部隊はドイツ軍を

引きつけておくために救出はされなかった。

この部隊の犠牲もダイナモ作戦の成功の一因であった。

 

この戦いにより、イギリス軍は約3万人の兵員を捕虜として失うとともに、

戦車や火砲、トラックといった重装備の大半の放棄を強いられた。

このため数十万の兵士がほぼ丸腰で帰還することとなり、イギリス軍は

深刻な兵器不足に見舞われた。

しかし訓練された兵士は一朝一夕につくれるものではないため、

この撤退は人的資源の保全という意味では非常に大きな成功を収めた。

 

ドイツの侵攻

フランス軍はダンケルク撤退以後は雪崩を打ったように崩壊が進んだ。

ドイツ軍は13日にパリを占領。

更に2日後、1916年の戦闘で敗北したドイツ軍因縁の地、ヴェルダンに進撃した。

ここに至ってフランスはついに6月21日に講和(降伏)を申し込み、

翌22日に受諾された。

 

漁夫の利を得ようとフランス降伏の12日前に参戦していたイタリアの

ベニート・ムッソリーニは、「死の床の重病人に宣戦布告した」と批判される。

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